青本のこと~うちのごはんヒットパレード♪


最初の本が、ピンク本(えっちな本ではない。しかも、ほんとうは、『おかず東京』という電子本が最初なんでつが)。

2冊目はシロ本・だし本、で、3冊目がこの青本『うちのごはんヒットパレード』でした。

編集のTさんとどんな本にしようかと、ふたりであれやこれや話していく中で、

いつも私が作っている、私にとっての定番料理の中には、

母から教えてもらったもの、叔母たちからのもの、

といったもしも私に娘がいたらずっと伝えたいレシピがある、という話になりました。

それらは、当時流行り始めていたカンタンとか時短には当てはまらないのだけど、

ちょっとした手間も含めて伝えたいレシピです・・・と話したところ、

じゃあ、それをまとめた本にしましょう、となりました。

お話をいただいた頃、病に倒れた大好きな叔母が入院中でした。

大学時代、この叔母の家に住んでいた私は、彼女からとてもとても大きな影響を受けました。いや、その前から、子供のころ東京に遊びに来ると、いつもびっくりすることばかりでした。

はじめて自分の家で!ハッシュドビーフを作ったり、大きな蒸し器でプリンをつくったり、

牛筋を見たことないほど大きなル・クルーゼ(だったと後でわかった)で煮こんだり、

たくさんの量の餃子を、しかも手作りの皮でみんなで包んだり。

一緒に銀座に買い物に行くと、松屋の上にあったお店で美味しいナスのグラタンを食べ、

渋谷に行くとトップスのカレーを食べ、家の近所だった目黒では、ウエストのシュークリームを食べさせてもらい、

香港園でおこげ(初めて見た!)をじゅわ~という音に感激しながら食べ・・・田舎の子供心に、どれもすごい美味しい、

常に食べ物につられる私は、ここんちの子になりたい!と思ったのを覚えています。

大学生になって居候するようになってからは、

いなかの子だった私を、等々力の紀伊国屋にいつもお伴(荷物持ち)につれていってくれました。

ハイカラな食材に、いつまでもいつまでもそこにいたかったのを覚えています。

そのころに、知った食材や調味料、アメリカや欧州の食品ブランドもたくさん。

アメ横や、横浜中華街も叔母に教えられ、おいしいイクラとはどういうものか(上野のデパートまで買いに行っていた)、

ウナギの肝(こちらは当時の伊勢丹の店に)、生ソーセージや、エスカルゴ、発酵バターも知りました。

米も、いつも小田急の地下の米屋にいき、玄米から選んでいました。

食だけでなく、思えば、初めての歌舞伎も叔母と行きました。今もめったに行かないブランドのお店も。

食いしん坊で、おしゃれで、いろんなことに興味があって、

正義感が強くって、美人だった叔母。

そんな叔母に教えられた料理もこの本にはいくつかあります。

いや・・・私の料理のふたつめの原点?なので、彼女のエッセンスがすべての料理に入っていると言ってもいいと思います。

結局、叔母は、この本の完成を見ることはなく旅立ちました。

でも、この本の中には確かに、目に見える形で叔母がいます。

実は叔母が残した器をたくさん使わせてもらったのです。

今でも、この青本をめくると、叔母のことを、まるですぐそばにいるかのように思いだします。

我が家に来ると、いつも決まって彼女が座っていた窓辺の椅子に今も座っている?

夏のど真ん中での撮影だったのですが、途中で私がダウンしてしまって、発売が遅れてしまい、

Tさんにはご苦労をおかけしてしまいました。

で、そのTさんのおかげで、またこの本が書店に並んでいます。

Tさんが手がけられた、ほかのたくさんの人気料理家の方々の本の中に仲間入りさせていただいて、フェアに。

書籍は哀しいかな、3ヶ月くらいしか店頭に並ばないので、

こうして復活!のチャンスをいただくのは、とてもとてもうれしいことです。

こんな感じ(写真)の並びを見かけたら、みなさま、ぜひ手にとってながめてやって下さい。

きっと、叔母も・・・いや、なかなかな皮肉屋だったので、

『手間ひまかかる料理の本なんて、売れないわよ』と言いながら、見ているかもしれません。